今日は、先週のツイッタータイムラインによく流れていた「ゆるヴィーガン」にまつわる投稿を眺めていて思ったことを書きたいと思います。昨年の暮れにもほぼ同様の話題でタイムラインが荒れたことがあり、noteの方でも何度か扱ったことがあるのでそちらも合わせて読んでいただけるとありがたいです。
過去の「ゆるヴィーガン」論争に関する記事
読んでいただけるとありがたいですとは言いながら、読めるかぁ!と思われそうなくらい長いので😆要約も記載します。
「ゴールと道筋」では、動物搾取を無くすという同じゴールを目指す者同士で罵り合うのは止めませんか?ということと、「『ゆるヴィーガン』という言葉が存在するから企業がおかしな製品を作る」との主張は矛先が違うのでは?という趣旨のことを書きました。
「アンチヴィーガンを増やさない②」では、「ゆるヴィーガンの方々は、ヴィーガンという言葉の定義を変えようとしているのではなく、変えるつもりはないかつ自分は厳密には沿っていないという謙虚さがあるからこそ『ゆる』をつけているのだと思う」と書きました。
「アンチヴィーガンを増やさない③」では、以下のようなことを書きました。少し長いですが引用します。
動物性食品を摂取している人も、その多く、おそらくほとんどの方が動物を苦しめたり命を奪ったりしたいとは思っていません。栄養面でも嗜好の面でも価格の面でも問題なく代替可能なものが世に溢れればそちらを選ぶ人も多いと思います。さらに進んでむしろ動物性食品を探す方が難しいくらいになったなら、今何も考えずに動物性食品を手に取っている人はやはり何も考えずに代替品を手に取るようになるでしょう。
企業は営利目的で動いているので、イノベーションを起こすためにはまずは需要が増える必要があります。鶏が先か卵が先かのような話ではありますが、需要が増えるためには菜食を実践する人が増えなければなりません。「お肉やお魚食べなくても大丈夫なのかな?ヴィーガンってどんな人たちなのかな?」と思ってちょっと検索してみた人たちが目にするものが「頭のおかしいヴィーガンどもめ!!」みたいなツイートであるのとないのとを比べれば、ない方が良いに決まっています。アンチヴィーガンさんは増えないに越したことはないのです。
同じくない方が良いものとして、菜食主義者同士の言い争いがあります。たまたまヴィーガン食を完全実行できる人が、完全には実行できない人に対して例え「ゆる」付きでも、むしろ「ゆる」付きだからこそ、ヴィーガンと名乗るな!と執拗に言い続けるツイートも、新しく入ってこようとする人を萎えさせるのに十分なマイナス効果を持つとともに、今現在名乗って問題ない状態の人も疲れさせるものだと思います。その文面が荒々しい物であればなおさらです。(トーンポリシングについてはまた別で書きます。)
ヴィーガニズムの目的は動物搾取を無くすことです。活動のすべてはその目的に向かってプラスでなければなりません。「動物搾取はするかしないかであって、ゆるくやめるとか有り得ない!」とゆるヴィーガン撲滅に執着した結果、活動が広まらず搾取が減らないパラドックスに陥っていないかは、よく考えるべき問題だと思います。
アンチヴィーガンを増やさない③|melon|note
継之助さんの動画
さて、私の過去記事はさておき、先週の「ゆるヴィーガン」関連投稿のきっかけとなったツイートのうちの一つはこちらかなと思われます。
上の継之助さんの動画を文字起こししてみたものがこちらです。
継之助です。
ちょっと言いたいことがあるので言うんですけど、
あの~・・・最近たまに見るんですけど、
「ゆるヴィーガン」の方とか、
「ちょっとヴィーガンやってます」っていう方を否定するガチのヴィーガンの人、
ふざんけんな、
目的何だよ、
目的は何なんだっつってんの。
・・・
ヴィーガンを広めて動物を救うことでしょ。それともあなたたちが
「私こそが厳格なヴィーガンです。」と言い張りたいだけなのか、
それをよく考えてくれっていう話ですよ。
・・・(長い間)・・・1日でも早く動物への食欲だったりとか、
まぁ俺はシェフなんで食べ物中心に話しますけど、
動物を利用した衣服だったりとか
そういう行事だったりとか
そういったものがナチュラルな形で一刻も早く
みんなが気づくってことが大事な上で
ちょっとでも気づいて活動して、
活動というか気づいて自分の生活に取り入れている人達を、
芽をつぶさないでくださいよって話ですよ。ちょっと怒ってる俺は。
いやもちろんガチでヴィーガンやってることは素晴らし過ぎるんですけど
そこのステージまで来たんだったら
後はどうやったら広がるかをもっと真剣に考えないと
嫌な意味での宗教ですよホントにマジで。それはもうダサすぎるし、意味がない。
tsugu 🌙さんはTwitterを使っています: 「#ヴィーガン #1日でも早く浸透させることが大切 #活動する上でよく考えて発言してほしい https://t.co/yQ9UpwDkNk」 / Twitter
自己満足、自己満足ですよ本当に。
本当に。
よろしくお願いします。
以上です。
継之助さんについて
私にとって継之助さんと言えば今は非公開となっているとあるYoutube動画のイメージでして、「ガチになる人は自然になって行くと思うから最初から完璧じゃなくてもいいんじゃないか」という趣旨のことをおっしゃっていて、その部分にとても共感しました。
よって、好意的なバイアスがかかった状態で動画を見たので「あぁ、いいことを言ってくれているなぁ」と思っただけだったのですが、「ふざけんな」と言われている側の主張を持つ方々にはとても攻撃的なものと受け取られたようです。確かにバイアスを取り去って冷静に見ると、攻撃的ではありますね😅
これまた過去記事からの引用にはなりますが、例えば「保育園落ちた、日本死ね!」のツイートはあの勢いがあったからこそ衆目を集めることができたので、時として主張には心の底から湧き上がるある種の勢いが伴ったり、それが功を奏する場合もあります。今回は残念ながら反感を買ってしまってあまり上手くは伝わらなかったようです。
今回の「ゆるヴィーガン」関連投稿の発端?
継之助さんの5/24の動画が何に対して発せられたものかはわからないのですが、時系列を見るに、一つの可能性としてこちらのツイートで紹介されているブログの存在がありそうです。継之助さんは動画の中で指摘の対象を明言されてはいないのですが、このブログを対象としての動画だったと解釈しているらしき投稿をいくつか目にしました。
このブログの中に以下の文章が出てきます。
「ゆるヴィーガン」「○%ヴィーガン」「パートタイム・ヴィーガン」という言葉が意味するのは、「ほどほどに殺人に反対する」「○%程度なら暴行を許容する」「虐待には反対だが、パートタイムで目を瞑る」ということ。「ゆる」や「パートタイム」を名乗るのはおかしいことなのです。
虚偽のヴィーガン・プラントベース表記の恐怖 – PLANT POWER FITNESS (plantpower-fitness.com)
同種の主張は良く目にするのですが、この解釈は使っている当人の意図とはかけ離れていると思います。「ゆるヴィーガン」を名乗る人は虐待反対については「ゆる」ではないでしょう。虐待反対については揺るぎないのだけれど、実生活との折り合いをつける上でやむなく食することがあるという意味での「ゆる」であり、この場合の「ヴィーガン」は食事にフォーカスしていて「自身の健康のためではなく、動物たちのために完全菜食を実践する人」という意味で使っていると私は認識しています。そう捉える人の方が多いんじゃないかなぁ?ちなみに「In dietary terms(食事の用語としては)」という表現は英国ヴィーガン協会のヴィーガニズム定義文の中にも出て来ます。
上の主張をする方々は、本当は言葉の使用者の意図をわかっているけれど、それについては無視しているというか認めずに、こういう主張をされている場合が多いようです。その理由として「企業が変な製品を作るから」ということが挙げられていたりもするのですが、私の中ではそこが直結しないのだということを以前のnoteに書きました。
そこが根本的にすれ違っているので、継之助さんがもっと穏やかに伝えていたなら結果は違ったかと言うと、同じだったような気もしています。
さすがに「ゆるヴィーガニズム」などと言い出す人が現れたら私もそれは違うだろうと思いますが、そんな言葉を使っている人は今のところ見たことがありません。「アニマルウェルフェア」は生きている間のことしかケアしないので、実は「ゆるヴィーガニズム」ではないのかと今ちょっと思ってしまいましたが・・・。
寛容のパラドックス
「寛容のパラドックス」という言葉があります。「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という一見矛盾した結論を導き出した哲学者の言葉です。寛容を主張する人は寛容でない人にも寛容であろうとしがちですがそれにはやはり無理があるのです。
継之助さんもきっとそうだと想像しているのですが、私は、動物たちのために菜食を選択する人を増やすため、行動し始めた人たちに対しては至らない点があったとしても寛容でありたいのです。その寛容な社会を作るために「ゆるなんてダメ!」という不寛容に対しては不寛容になってしまっていると思います。
Marieさんにしてみれば、より良い世の中にするための発信として、持てる知識と経験を駆使し、言葉を選び、時間と労力をかけて丁寧に書いた長い文章に対して「ふざけんな」と指差し動画を流されてしまったわけで、お気持ちは察するにあまりあります。ですが、Marieさんを支持する関連投稿の中には、明確に継之助さんを名指ししているわけではありませんが、「自分のビジネスを守りたいだけ」だとか、「ヴィーガンビジネスのオーナーがヴィーガンの定義があやふやでもいいと考えているということは、ヴィーガンだと宣伝しておきながら平気で動物性の成分を使っている可能性もあるということなのでまったく信用ならない。」という誹謗中傷まで出てきてしまっていました。
最初に文字起こしをしたように、継之助さんは「ヴィーガンの定義があやふやでもいい」なんて一言も言っていません。言い方は攻撃的だったかもしれませんが、要するに「芽を摘まないで」と伝えているだけの人にここまで書くのはどうなのでしょう?そもそもビジネスが大事ならあんな動画投稿しないと思うけどな~・・・。
個人的には、「日本のヴィーガンシェフはもんのすごく貴重ですよ❗❓なんてこと書くの❗❓😱」と思いました😵
人間はプライドや感情を持つ生き物であり、それをこじらせるとどんどん泥仕合になって行ってしまうので残念極まりなく、やはり伝え方は大事だなぁと思った次第です。他人の意見を変えることは難しいので、相手を無理に変えようとはせず、こういう意見を見たけど自分はこう思う、に留めておくことも必要かもしれません。とりあえずスルーして他で頑張るといった選択肢を取る方が良い場合もありそうです。
人はグラデーションで変わるもの
最後に、私が尊敬する若いアクティビストの一人である二階堂ふみさんの記事を引用しておきたいと思います。
どうしても格差があるなかで、優先順位が変わるのは当然ですよね。色々な立場や価値観の人がいるので、一歩引いて客観的に物事を見ないといけない。例えば私が毛皮を着ていたように、人の考えはグラデーションで変わっていくものだと思うんです。今は何も思っていない人でも10年後には変わっているかもしれない。だから攻撃をするのではなく、寄り添うような活動や伝え方をしないと、分断が生まれてしまうと感じています。自然や動物だけじゃなく、人に対する愛情も同じくらい持っていないと傷つける人を増やしてしまう。
【二階堂ふみさんxグリーンピース】自然にも、動物にも、人間にも愛情のある世界へ – 国際環境NGOグリーンピース (greenpeace.org)
人にはそれぞれ育ってきた環境、現在置かれている状況による優先順位というものがありますし、何かを思い立ってそれまでの行動を変えるというのは相当なエネルギーが要ることですよね。本当に動物たちのことを思う信念があればできるはず!という方には今少しの他者理解が欲しいところです。そんなに簡単なことなら既にもっと世の中変わっていますよね?ただ、継之助さんもおっしゃっているように、ふみさんがそうであったように、また私もそうであるように、スタートさえ切ってしまえばガチになる人は自然になっていくという面もまたあると思うのです。だから、敷居を高くしてしまうことはとてももったいないことだと考えています。
人はみな「ヴィーガン」あるいは「ヴィーガンではない」のどちらかにしかなりえず、完全菜食者でないものは「ゆる」つきでも「ヴィーガン」を名乗ってはいけないという不寛容さは「芽を摘む」考え方なんじゃないかなぁと私は思います。
「ゆるヴィーガン肯定派」という言葉も見ましたが、それも違和感で、私は別にそんなジャンルの人間ではないです😆肯定も否定もしたいわけではなく、「ゆる」を外せるようにするためにはどうすればいいのかを考えて、できることをして行きたいだけです。一人でできないことは同じ志を持つ方々と連携しながら😉
ブログとしては過去一長い文書になってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました😊