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オーガニック野菜しか買えない

 以前、学生時代に超絶貧乏だったので今もオーガニック野菜が高くて買えないというブログを書きました😆

オーガニック野菜が買えない – ヴィーガンの友 (veganfriend.jp)

 時は流れて今どうなっているかと言いますと、タイトルの通り真逆になってしまいました😂

 以前のブログにも、買って食べてみたら美味しかったし長持ちするという話を書いていたのですが、この長持ちするという点が結局安上がりでもあるという事実に気づきまして、利点しかなくなったのでした😊

 オーガニックと銘打っていない野菜は、食べきれないまま日にちが経つとたいてい腐り始めてしまうのですけど💦オーガニック野菜は干からびるだけなのですよね😃干からびている程度なら私は迷わず食べる人間なのですが、腐ってしまうとさすがに泣く泣く廃棄するしかなく、もったいなさ過ぎてやりきれません😭

 我が家は娘も家を出ており夫婦二人暮らし、且つ食の好みが全く合わず各自勝手に好きなものを作って食べるシステムなので、食事に関しては一人暮らしのようなものです😄ツイッターの投稿を見てくださっている方は薄々お気づきかと思いますが、基本的に炭水化物さえあれば満足で、料理にかける情熱も少なく、買った野菜を使い切るのはなかなか大変なので日持ちすることはとても大事なのです😆

 久しぶりに書いた短めのブログの最後は、撮影に協力的なごもちゃんとそうでもないつるちゃんの対比写真で締めたいと思います🤣

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ツイッターとインスタグラム

 ツイッターとインスタグラムの違いについて、以前からぼんやりと感じていたことが言葉になったので書いておこうと思います。

ツイッターから去る人々

 私がヴィーガンアカウントを作ってから1年ちょっとの間に、何人もの素敵なヴィーガンさんがツイッターを去ってしまいました。インスタグラムで元気に過ごされている様子がわかる方もいらっしゃるのですが、さほど親しくさせていただいてたわけではない方については近況を知る術もなくなりとても淋しく思っています。私もインスタグラムのアカウントを一応持ってはいるのですが、投稿はゼロ件で完全に閲覧専用となっています😛

 私がインスタグラムを活用していない一番の理由は、PCから扱いにくいことです。ツイッターにしろFacebookにしろ、投稿はすべてPCから行っていまして、スマホを全然使いこなせない人だったりします😂二番目の理由は、特に載せたい写真がないことです。みなさんの写真が素敵すぎて映えない自分の写真を投稿する気になれないんですよね😆

何故インスタグラムは居心地がいいのか

 去って行かれる方の多くは理由を明確におっしゃらないのですが、タイムラインが荒れる騒動があった後にいなくなってしまう方が多いので、そんなことの積み重ねが理由の一つではあるのかなぁという気がしています。そして、インスタグラムでも批判的なコメントが皆無なわけではなさそうなのですが、ツイッターよりも居心地が良い理由、荒れにくい理由って何なのだろう?とずっと思っていました。その理由に自分なりの答えが見つかったので書いておこうというのが本日のブログです😊

Honey’s Farm Sanctuaryさんのインスタグラム

 前回のブログHoney’s Farm Sanctuaryさんのロックん&パクちゃんのことを書いたので、とびきり可愛い動画を一つ引用させてもらおうかな~と思ってインスタグラムの投稿を遡って見ていました。すると、場所の確保や医療など当初にかかる費用の寄付を募る投稿の中に「インスタグラム以外のSNSでの拡散はしないで欲しい。」というオーナーさんのコメントを見つけ、引用のお願いはしないことにしたのでした。

 オーナーさんが拡散ツールをインスタグラムに限定したい理由は「以前に他のSNSで意図しないことが起こったため」なのだそうです。おそらくそのSNSとはツイッターで、意図しないこととは思いもかけない中傷がたくさんあったということなのではないかなぁと想像しました。当時はまだ私がヴィーガンアカウントを始める前で、どんなことがあったのかは全くわからないので本当に個人的な推測でしかないのですが。

もんたちゃんのツイッター

 そこで思い出したのが、少し前にあった猫のもんたちゃんのお散歩に関するツイッター上での出来事です。もんたちゃんは、普通なら長くは生きられないくらいの重い障害を抱えている猫ちゃんです。里親さんの献身的な介護により、もんたちゃんなりの幸せな日々を過ごしている様子がYoutubeで配信されていてとても人気があります。Instagramの方ではちょっとしたネタ動画が上がることもあって里親さんのセンスを感じます。ちなみにネタ動画と言ってももんたちゃんに無理に何かをさせる等は一切ありません。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、そこがまさに面白いポイントだったりします。

 そんなもんたちゃんですが、今の小康状態に至るまでには大変な苦労や葛藤があったようです。状態改善のための一つの打開策になったのがお散歩でした。(詳細は里親さんがnoteに綴っておられます。)以前に私もつるちゃんのお散歩について書いたことがあるのですが、猫にとっても五感で自然と触れ合うことは楽しく、良い刺激となるようです。もんたちゃんにも良い影響があったそうです。ポテポテとゆっくりお庭散策を楽しむ様子が評判となり、地元である福島県糸島市の観光大使にも選ばれました。

 しかしながらそのことが広まるにつれ、ツイッターではハーネスやリードをつけずにお庭散策をしていることに対しての非難が始まりました。(この騒動をきっかけに私はもんたちゃんを知りました。)迷子や事故の危険性を誘発してしまうことから、有名な猫ちゃんがリードをつけずにお散歩する姿を見せるのは良くないという指摘でした。

 里親さんの「一度動画を見てみて欲しい」、「Youtubeとインスタは穏やかです」等のコメントから、そこに答えがあるのだろうなと思って見に行ってみました。概要欄のリンクからnoteでこれまでの経緯を読んだり動画を何本か見てみた結果、もんたちゃんにリードをつけろという指摘は適切ではないなぁと考えるに至りました。指摘された方は、経緯をご存知ではなく普段の投稿も見ておられなかったのではないかなと思います。

 もんたちゃんは本当にポテポテとしか歩けませんし、里親さんは常にもんたちゃんに気を配っています。迷子の危険性はまずありませんし、お家は田舎にあって敷地も広く事故の危険性もほぼないと思います。経験のある方はよくご存じだと思いますが、ハーネスをつけると健康な猫でも慣れるまで上手く歩けなくなります。もんたちゃんのことだけを考えればハーネス装着にはデメリットしかありません。脱走防止への配慮を見せるという世間体のためにハーネスを装着することは、私には妥当なことだとは思えませんでした。

 私も、実情を知るまではもっともな指摘だと思っていました。でも、他ならぬ自分の猫のことです。誰がハーネスをつけてなかろうが、放し飼いをしていようが、必要だと思ったら自分の頭で考えてその子にとっての最善をつくすものではないかなと思います。猫にもいろんな子がいます。我が家の猫たちにしても、つるちゃんならリードを木にくくりつけて目を離している瞬間がありますが、ごもちゃんからは絶対に目を離しません。つるちゃんは、リードが絡まったり帰りたくなった時など困ったら必ず鳴いて私を呼びますが、ごもちゃんは自分でなんとかしようともがいてしまうからです。猫は怪力の持ち主なので、本気を出せばハーネスごとき簡単に外すことができます。

ツイッター炎上の特徴

 ツイッターの批判コメントを見ていると、元ツイの背景やリンク先、別の方のリプライ内容などをほとんど確認せずに書かれているものが実に多いと感じます。私も引用リツイートをリツイートしようとして「まずは読んでみませんか?」と怒られることがあるので人のことは言えません。センセーショナルな見出しだけを見てリツイートしそうになることがあるというまさに実例です。

 しかし、賛同する場合ももちろんそうですが、特に批判コメントを書く場合にはやはり批判対象についてある程度確認するべきだと思うのです。でもそれが行われないところにツイッターの特性があるなぁと感じています。一つのツイートに無数の批判コメントがつくという出来事が私には理解できません。しかもたいていみな同じような意見です。一部の天才を除いて人間が考える事なんて大差ないので、全く同じことを書いている人が既にいる可能性は高く、そこにいいねを押すだけで良さそうなものです。一切読まずに書いているとしか考えられません。似たようなコメントが山ほどあっても読み切れるものではありません。もはや、元ツイの方に何かを伝えることが目的ですらないように見えます。言いたいだけ、書きたいだけ、になっているように思えるのです。

 事前に確認をすることは、相手のためでもありますが、的外れなことを書いて後悔しないよう自分のためでもあるはずです。身分を隠して匿名という檻に守られた中から好き勝手に書いて、それが見当違いだったとしても痛くも痒くもないということなのでしょうか・・・。

 

インスタグラムとツイッターの違い

 インスタグラムはまず画像ありきです。インスタ映えと言う言葉があるくらい、基本的には賞賛を集めるような画像を投稿して共感を得るツールです。つまりは「見せたい人」と「愛でたい人」のツールなのかなと思います。自然と平和な世界になりそうですよね😊

 一方、ツイッターは「物申したい人」のツールなのかなと思いました。何かを言いたい人がいて、それに乗っかってプラスで何か言いたい人と、それを否定して持論を言いたい人が集まる世界。荒れる下地にはなりやすそうですよね😅

 また、インスタグラムの場合はフォローしていない人の投稿がタイムラインに流れてくることはないので、「嫌なら見に来なければいい」わけで、わざわざ見に来て批判コメントを書くと言うのはツールの性質上かなり違和感があります。

 一方ツイッターは、元ツイの方を知らなくてもフォローしている方がリプライを書けば目につきますし、「〇〇さんがいいねしました」やトレンド機能など、もともと知らなかった情報が目に触れる機会が多いです。最たるものはリツイートで、フォローしている方のリツイートによって新たな情報を目にすることも大変多いです。これらの拡散能力に長けた特徴が、批判的な人を呼び寄せてしまう負の側面にもなっていそうです。

ヴィーガンの啓蒙はインスタの方が良い?

 私がツイッターのヴィーガンアカウントに投稿を続けている理由のひとつは、同じ志を持つ人が一人でも増えてくれたらいいなぁというものなのですが、この目的のためにはインスタの方がいいのかなぁ?とも思われるのでした。しかし、残念ながら私もどちらかというと物申したい人で、愛でていただけるような写真も撮れないし、ツイッターに居座るしかないかな~と言うのが今のところの結論です😆

 大変長くなってしまいましたが、最期まで読んでくださりありがとうございました‼

 

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Honey’s Farm Sanctuary

来年度のステッカー

 前回のブログで、WWFを退会したことと毎年手帳の裏に貼っていたWWF会員ステッカーの代わりをどうしようかなぁと思っていることを書いたのですが、割とすぐ決まりました😊

来年の手帳の裏表紙には、Honey’s Farm Sanctuary さんのロックん&パクちゃんステッカーを貼りました~🥰新しい手帳にステッカーをまっすぐに貼るという恒例行事が無事に終わり、もはや年末気分です😆

ロックん🐷パクちゃん🐷ステッカー

ファームサンクチュアリとは

 「サンクチュアリ」が野生動物のための自然保護区なのに対して、「ファームサンクチュアリ」は畜産動物の保護施設です。日本では現在 Honey’s Farm Sanctuary さんと オープンセサミ さんの二か所のみです。老齢や怪我、病気等により廃棄処分寸前の個体を引き取って、余生を過ごさせてくれる場所です。営利目的の施設ではないので、運営はオーナーさんの献身と善意の寄付で成り立っています。

ロックん&パクちゃん

 ロックんとパクちゃんは、猫と同じくらい小さな子豚の時に養豚場からレスキューされ Honey’s Farm Sanctuary さんへと引き取られました。保護されるまでの生育環境や選択的繁殖による数々の疾患を、オーナーさんの献身的ケアで乗り越えてきた様子がインスタグラムに綴られています。

グッズ紹介

 ステッカーと一緒に可愛いTシャツも購入しましたよ~😊

こぶたTシャツ⭐︎アイボリー
⭐️ロックメッセージ オーガニックコットンTシャツ⭐️

 上のTシャツやステッカーはサンクチュアリーグッズ一覧に掲載されているものです。一番下の「もっと見る」ボタンはぜひ押してください。たくさん出てきます😊

 全品 SOL DOUT になっているのですが全て購入可能です❗

 インスタグラムの公式グッズアカウントにDMで希望の商品を伝えると確認の折り返しがもらえます。合計金額と入金方法を確認し、入金完了を連絡してからの受注生産となっています。受注生産ですので注文してから手元に届くまで少し時間がかかりますが、可愛いグッズの購入が支援にもなるなんて嬉しいですよね🥰

 なお、インスタグラムをよくご覧になっている方なら、オーナーさんにグッズ販売の作業をされる時間はないのでは・・・とご心配されるかもしれませんが、そこのお手伝いされている方がいらっしゃいました😊

ペイパル支援

 10月から毎月の定額支援も始めてみました。ハニーズさんを応援する方法はいろいろあって、公式HPに支援方法の一覧があります。ペイパルアカウントを使って1回分の支援や毎月自動引き落としの支援が可能で、金額は任意に決めることができるようになっています。

スイーツ購入での支援

 ヴィーガンロースイーツの収益からHoney’s Farm Sanctuaryさんへ寄付をしてくださっている料理家さんもおられます😊

miki 🌱vegan(@atelier__miki) (mikiさんのインスタグラム)

atelier miki (mikiorganic.com) (mikiさんのオンラインショップ)

もう販売期間が終わってしまったのですが、先日「栗ームブリュレ🌰」を注文してみました。

大きな栗が入っていました♪
蓋を開けたところです!
材料は全てオーガニックです♪

添えられた直筆の説明文にmikiさんの真摯な人柄が感じられました😊スイーツはとても美味しかったです😍素敵なブッシュドノエルも3種販売されていましたので、クリスマスに向けてご興味のある方はぜひインスタグラムの商品紹介をご覧になってみてください❣

支援に込める思い

 Honey’s Farm Sanctuaryさんのインスタグラムは、動物たちがみな幸せそうで本当に癒されます。

 ロックん&パクちゃんの愛らしい様子を、動物は好きだけれどお肉は食べているという方にぜひ見て欲しいなぁと思います。養豚場の豚さんたちは、感情に乏しくただ餌を食べて体を太らせ何もわからないうちに息絶えているのではありません。日々とてつもない数の個体が生まれて間もない頃から暴力にさらされ、成長するにつれ痛みと精神的ストレスに苛まれ、最期には壮絶な恐怖と苦しみを味わっています。それもまだ生後6か月という子供の時期にです。それらのことも知って欲しいのですが、まず最初に、豚さんたちが豊かな感情と個性を持っているということを知って欲しいです。Honey’s Farm Sanctuary のような環境で暮らせば、こんなにも穏やかな表情と、お世話する人への愛情を見せてくれる愛おしい存在なのです。

 ある日いきなり完全なヴィーガンになる人というのはあまりいない気がします。気づいた時から関心が向くようになり、より多くを知るようになり、避けたい気持ちがどんどん強くなっていくケースが多いのではないでしょうか。ロックん&パクちゃんが、最初のきっかけとして多くの人の心に触れることを願って、微力ではあるのですが支援して行きたいと思っています😊

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WWFを退会する

 10年続けたWWFの会員を辞める事にしました。年の暮れに届く翌年のステッカーを真新しい手帳の裏に貼るのが例年の楽しみだったのですが、それも終わりです。

 自分としては少なからぬ額である年会費を、野生動物の保護という尊い活動に寄付することを誇らしく思っていたのですが、当初から薄々無駄が多いなぁとは感じていました。例えば、会費の他にキャンペーンとして特定の保護活動のための寄付が募られたりもするのですが、クリアファイルなどのプラゴミ的なプレゼントが付いてくるのです。さして使いようもないですし、寄付する側としては全額を保護活動に使って欲しいですよね。ちょうど今もさかなクンデザインのポーチとやらを宣伝しています。(脱プラが叫ばれている昨今なのでクリアファイルはやめてオーガニックコットン素材にしたようです。)

 入会した動機は、まさに上のツイート同様、トラの保護でした。私は猫が大好きなのですが、猫好きが高じてネコ科の野生動物もこよなく愛しているのです。特にチーターが全速力で走る姿などは生き物の美しさの究極の到達点だと思っていて、絶対に絶滅して欲しくないのです。コンドルが飛ぶ姿もイルカが泳ぐ姿も美しいなぁと思うのですが、チーターの走る姿には格段に心惹かれるのです!

 退会の動機ですが、まず、10年前も今もWWFの言っていることが何も変わっていないのです。本来なら今頃は、90年でこれだけ減っていたけれど、この10年はWWFの取り組みで下げ止まりできているとか、若干増えたとか、そういった報告が聞けるのが理想で、そう信じて寄付をしてきたのですよね。

 「サピエンス全史」を読んで工場式畜産を知ってから、知らないことの恐ろしさを知るようになりました。ヴィーガンツイッターを始めてからは、意識して取りに行かなければ知ることのない情報、隠された不条理をたくさん知るようになりました。おかしいと思ったことは調べたり考えたりするようになりました。

 薄々不審に思いながらも、こんな有名な団体がおかしな運営をしているわけがないよな~と自分に言い聞かせていた面があったのですが、ヴィーガンになってからの心境の変化もあり、重い腰を上げて調べてみることにしたのです。また、活動内容や主催されている方の人となりが良く見えていて、応援したいと思う他の支援先が出てきたことも、重い腰を上げた理由でした。

 調べて分かったことの概要は「世界自然保護基金 – Wikipedia」の「批判」の項でもある程度知ることができるのですが、最終的に行き当たったのはこちらの書籍でした。

 WWFはこの本の発売を差し止めようとしたもののできなかったそうです。ということは、書かれている内容は事実無根ではないのでしょう。私が寄付を始めたのが2013年で、2015年にはこの本が出ていたのに今まで知らずにきてしまったというのはなかなかショックな出来事でした。子供の頃、24時間テレビの出演タレントがギャラをもらっていることを知った時くらいショックでした・・・。

 何が恐ろしいと言って、自分でも薄々感じていたことがより悪い方向で明らかとなったにもかかわらず、まだ何となく信じたい気持ちや来年のステッカー欲しかったな~と思う気持ちがどこかにあるのです。人間とは過去の行いを正当化したくなるものであり、ずっとやってきたことをやめるのに抵抗があるものなんだな~とつくづく感じます。まさか自分にもそんな面があったなんて~💦

 久しぶりのブログはちょっと暗めの文章になってしまいましたが、本人はいたって元気です😊さて、9月も終わりに近づきました。来月には、書店に来年の手帳が並び始めることでしょう。2023年の手帳の裏表紙に私はどんなステッカーを貼ることになるのかな❓心機一転、考えてみたいです😉

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他国の文化は尊重しましょう

 ツイッターで、処理場へ送られる我が子を追いかける母牛の動画をリツイートしたところ次のようなリプライがつきました。

 ツイッター上ではマイルールに基づきスルーしているのですけど、「ヴィーガンは人の話を聞かない」とか言われるのも本意ではないのでこのリプライに関する考えをこちらに書いておこうと思います。前半はところどころ口が悪いです😛ごめんなさい🙇

【前半】

 ブログの公開当初、ここには大変口の悪い文章が並んでいたのですが、とあるヴィーガンさんが上にコメントされている方と丁寧な対話をしてくださり、円満な相互理解に到達されていたことを知ったので削除しました😊

 後半とのつながりのためにひとつだけ内容に触れますと、「他国の文化に口出しをしたつもりはない」ということが書かれていました。

【後半】

 他国の文化へ口出しはしてないと前半では書きました。実際これはデリケートな問題で、割と気を使っています。なので今回のリツイートも「日本に関してはひと昔前に戻れば良いだけですよね」という趣旨でした。

 他国の文化は尊重しなければなりません。これは大前提です。ただ、人間社会に閉じる話であればです。例えば「夏休みが2か月もあるなんて許せん!」などと言うのは論外です。しかし、先進国における動物倫理に関しては、個人的にはこの前提は不要なのではないかと考えています。

 「先進国における」という注釈は次の意味合いで付けました。以前にも書いたことがあるのですが、今の私たちよりはるかに環境負荷の少ない暮らしをしている人々が、自分たちの手で大切に育てた家畜を自らの手で捌いて食することをどうこう言えるとは私は思っていません。(それすらも無くせるならいいなとは思いますが。)

 話を戻しますと、肉食に関して他国の文化だと言う人の頭の中は左図のイメージかなと思います。一方、動物倫理を語る時の私の頭の中は右図です。

他国の人間及び動物との関係における考え方の比較

 地球上に国境線なんて書いてません。国家も国境も、人間社会が決めただけのものです。フランス人と日本人は交配可能な同じ種です。同じ種に属する人間同士で他の種の動物への扱いについて指摘し合うことは越境ではないと考えています。

以上、思うところを書いてみました。お付き合いくださりありがとうございました😊

いやそれにしてもバカンスが2か月・・・うらやましいなぁ✨他国の文化への羨望でした😆

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センス・オブ・ワンダー

 生物学者である福岡伸一さんの著書「ナチュラリスト~生命を愛でる人~」を読みました。フォローさせていただいている方のツイートで著者を知り、検索した中から表紙の雰囲気に惹かれてこちらの本を選びました。今日のブログでは、書籍の内容についてはあまり深く触れずに(私などが下手に説明してしまってはもったいないので!)読みながら思い出したことなどを雑文として書いています。

表紙の写真

優しい文章

 「福岡さんの紡ぐ文章は優しいです✨」ともツイートされていたので、「文章が優しいってどういうことだろう?言葉遣いが丁寧なのかな?」とそこも興味深かったのですが、実際に読んでみたところ、言葉のチョイスというよりは、文章全体から醸し出される雰囲気がとても柔らかいのです。著者の心の優しさが伝わる本当に温かい文章でした😊

 そんな心地よい文章なので、残りのページ数が少なくなるにつれ、「あぁ、もうすぐ読み終わっちゃうな~」という一抹の寂しさも感じました。今までに、読み終わったことが寂しかったものと言えば「吾輩は猫である」(夏目漱石作の小説←この説明要る?🤣)と「動物のお医者さん」(佐々木倫子作の漫画)だったのですが、この本も仲間入りです。

 ちなみに、上とは逆に読み進むことが嬉しかったのは何と言っても「サピエンス全史」の下巻です!ハラリさんの文章も(翻訳ではありますが)心地良いので読むのが苦痛だったわけではまったくないのですが、下巻の内容は私にとってはかなり難解で、寝落ちしては翌日また同じところを読み返すといった風だったので、読了した時はものすごい達成感でした😂

ナチュラリストとは

 話は戻りまして、表題の「ナチュラリスト」ですが、直訳は「博物学者」となるようです。少し前まで私にとって博物学者とは冷たい廊下の先にある標本室で書物に埋もれている人のようなイメージだったので、「ナチュラル(自然)」と「博物学」は相容れない感じがしただろうと思われます。ところがちょうど最近「へんなものみっけ!」(早良朋作の漫画)という作品を読んでそのイメージがくつがえされたところでした。博物学とは、生命の神秘に迫る熱い研究者たちが、海へ、山へ、世界の果てまで行って野生生物の行動を解き明かそうとする、現代の冒険家の学問なのだそうです。自然が大好きな人にしかなれない職業ですね😊本書にも、昆虫が大好きだったシンイチ少年の話がふんだんに出てきます。

ヴィーガン発狂案件

 とは言いながら、やはり剥製や昆虫標本の話も出てきます。薄々そうだろうな~とは思っていたのですが、昆虫標本とは天寿を全うした虫さんのみから作られるわけではないようでして、アンチ風に言えば「ヴィーガン発狂」案件です。その辺りの話はちょっと辛くて読むのをやめようかなぁと思ってしまった箇所もあるのですが、この本に関しては、そこは堪えて(でも覚えておいて)ぜひ最後まで読み切っていただきたいと思います。

ドリトル先生

 本作の全体を通して語られていることの一つに、著者の「ドリトル先生」シリーズへの愛があります。「フランダースの犬」同様に本国よりも日本で特に人気があり、長く読み継がれている児童文学作品です。日本で人気を博している理由として、著者は井伏鱒二の翻訳の良さを挙げていました。「Dr.Dolittle」のDolittleは怠慢を意味する「do-little」であると考えられるため、「おさぼり博士」とでも訳されかねないところですが、それを「ドリトル先生」と訳し、一人称を「わし」としたことが、多くの子供たちを魅了する邦訳固有の世界を作っているのだそうです。(残念ながら私自身は読まずに子供時代を過ごしてしまいました・・・。)

井伏鱒二

 あの有名な小説家の井伏鱒二さんが児童書の翻訳をしていたなんて面白いですよね。あの有名なと言いながら、私は井伏作品を教科書でしか読んだことがありません。一番よく文学作品を読んでいた学生時代に、先に太宰治作品に魅了されまして、太宰が死の間際に井伏氏をよく思っていなかったらしいことから「意地悪な人なのかな?」という思い込みがあり、何となく井伏作品を手に取らなかったのでした。数十年の時を経て、今回その経緯を調べてみますと(今は何でも簡単に調べられて便利ですね♪)、太宰の遺書はかなり理不尽と言いますか、「いやいや、井伏さんとんでもなく親身に面倒みてるじゃないですか!」と認識を改めましたので、今さらですが読んでみようと思います😆

センス・オブ・ワンダー

 著者が、ナチュラリストにとって大切な素養の一つとして挙げているのが「センス・オブ・ワンダー」です。SF作品の用語としても有名な言葉のようですが、ここでは、そちらではなく海洋生物学者のレイチェル・カーソンが唱えた方の意味で使われています。

 最初にあったもの。それはいったいなんでしょうか。それはおそらく美しさに打たれること、精妙さに驚くこと、フォルムの奇抜さに引き込まれること、動きのしなやかさに魅せられること、ぬくもりにほっとすること、あるいは風の匂いや光の粒だちをはっきりと感じること。そういう一連のことごとです。

(中略)

 しかし、海洋生物学者レイチェル・カーソンが著書『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮社)でいうとおり、まもなく私たちにひとしく訪れる倦怠と幻滅、つまらない人工的なものに夢中になること、そのような日常のよしなしごとにまぎれて、最初にあったものは鈍り、遠ざけられ、あるいは自ら進んで忘れさられていってしまいます。

 大人になる、とは本来そういうことなのでしょう。しかし、大人になってもかつてのセンス・オブ・ワンダーは完全に損なわれてしまうわけではないと思います。(中略)ほんの些細な手がかりがあれば、全く同じではないにしろ、それを想い出すことができるように感じるのです。

ナチュラリスト(福岡伸一著)より一部を抜粋

 この文章を読んで、あぁなるほどと思い至ったのが愛猫つるちゃんのことでした。なぜここでいきなり猫❗という感じですが😆

 つるちゃんは保護猫出身で、子猫時代にお外での暮らしを経験しているせいか、ものすごく外に出たがります。本来は完全室内飼いが望ましいのですが、あまりに出たがって不憫なので、猫用のハーネスをつけて自宅の庭を散歩させてあげることにしました。その時の様子がこちらです。

花の匂いを嗅ぐつるちゃん
虫を追いかけて茂みに突っ込むつるちゃん
草影で休むつるちゃん
風を感じるつるちゃん

 見るもの聞くもの触れるもの、そしていろんな匂い、それら全てに興味津々で楽しそうに歩き回る姿はまさに「センス・オブ・ワンダー」だなぁと思ったのです。

 野良猫たちの過酷な暮らしを思えば、飼い猫は閉じ込められていて可哀想だとか、野良猫は自由を謳歌しているという意見に賛成するつもりはないのですが、人間にもアウトドアライフを好む人がいるように、猫にも自然を楽しむ心があるという、考えてみれば当たり前の事実を知ったように思います。

 本の内容とはあまり関係のないことばかりを綴ってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました😊

 

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伝え方は大事

 今日は、先週のツイッタータイムラインによく流れていた「ゆるヴィーガン」にまつわる投稿を眺めていて思ったことを書きたいと思います。昨年の暮れにもほぼ同様の話題でタイムラインが荒れたことがあり、noteの方でも何度か扱ったことがあるのでそちらも合わせて読んでいただけるとありがたいです。

過去の「ゆるヴィーガン」論争に関する記事

ゴールと道筋|melon|note

アンチヴィーガンを増やさない②|melon|note

アンチヴィーガンを増やさない③|melon|note

 読んでいただけるとありがたいですとは言いながら、読めるかぁ!と思われそうなくらい長いので😆要約も記載します。

 「ゴールと道筋」では、動物搾取を無くすという同じゴールを目指す者同士で罵り合うのは止めませんか?ということと、「『ゆるヴィーガン』という言葉が存在するから企業がおかしな製品を作る」との主張は矛先が違うのでは?という趣旨のことを書きました。

 「アンチヴィーガンを増やさない②」では、「ゆるヴィーガンの方々は、ヴィーガンという言葉の定義を変えようとしているのではなく、変えるつもりはないかつ自分は厳密には沿っていないという謙虚さがあるからこそ『ゆる』をつけているのだと思う」と書きました。

 「アンチヴィーガンを増やさない③」では、以下のようなことを書きました。少し長いですが引用します。

 動物性食品を摂取している人も、その多く、おそらくほとんどの方が動物を苦しめたり命を奪ったりしたいとは思っていません。栄養面でも嗜好の面でも価格の面でも問題なく代替可能なものが世に溢れればそちらを選ぶ人も多いと思います。さらに進んでむしろ動物性食品を探す方が難しいくらいになったなら、今何も考えずに動物性食品を手に取っている人はやはり何も考えずに代替品を手に取るようになるでしょう。

 企業は営利目的で動いているので、イノベーションを起こすためにはまずは需要が増える必要があります。鶏が先か卵が先かのような話ではありますが、需要が増えるためには菜食を実践する人が増えなければなりません。「お肉やお魚食べなくても大丈夫なのかな?ヴィーガンってどんな人たちなのかな?」と思ってちょっと検索してみた人たちが目にするものが「頭のおかしいヴィーガンどもめ!!」みたいなツイートであるのとないのとを比べれば、ない方が良いに決まっています。アンチヴィーガンさんは増えないに越したことはないのです。

 同じくない方が良いものとして、菜食主義者同士の言い争いがあります。たまたまヴィーガン食を完全実行できる人が、完全には実行できない人に対して例え「ゆる」付きでも、むしろ「ゆる」付きだからこそ、ヴィーガンと名乗るな!と執拗に言い続けるツイートも、新しく入ってこようとする人を萎えさせるのに十分なマイナス効果を持つとともに、今現在名乗って問題ない状態の人も疲れさせるものだと思います。その文面が荒々しい物であればなおさらです。(トーンポリシングについてはまた別で書きます。)

 ヴィーガニズムの目的は動物搾取を無くすことです。活動のすべてはその目的に向かってプラスでなければなりません。「動物搾取はするかしないかであって、ゆるくやめるとか有り得ない!」とゆるヴィーガン撲滅に執着した結果、活動が広まらず搾取が減らないパラドックスに陥っていないかは、よく考えるべき問題だと思います。

アンチヴィーガンを増やさない③|melon|note

継之助さんの動画

さて、私の過去記事はさておき、先週の「ゆるヴィーガン」関連投稿のきっかけとなったツイートのうちの一つはこちらかなと思われます。

 上の継之助さんの動画を文字起こししてみたものがこちらです。

継之助です。
ちょっと言いたいことがあるので言うんですけど、
あの~・・・最近たまに見るんですけど、
「ゆるヴィーガン」の方とか、
「ちょっとヴィーガンやってます」っていう方を否定するガチのヴィーガンの人、
ふざんけんな、
目的何だよ、
目的は何なんだっつってんの。
・・・
ヴィーガンを広めて動物を救うことでしょ。

それともあなたたちが
「私こそが厳格なヴィーガンです。」と言い張りたいだけなのか、
それをよく考えてくれっていう話ですよ。
・・・(長い間)・・・

1日でも早く動物への食欲だったりとか、
まぁ俺はシェフなんで食べ物中心に話しますけど、
動物を利用した衣服だったりとか
そういう行事だったりとか
そういったものがナチュラルな形で一刻も早く
みんなが気づくってことが大事な上で
ちょっとでも気づいて活動して、
活動というか気づいて自分の生活に取り入れている人達を、
芽をつぶさないでくださいよって話ですよ。

ちょっと怒ってる俺は。

いやもちろんガチでヴィーガンやってることは素晴らし過ぎるんですけど
そこのステージまで来たんだったら
後はどうやったら広がるかをもっと真剣に考えないと
嫌な意味での宗教ですよホントにマジで。

それはもうダサすぎるし、意味がない。
自己満足、自己満足ですよ本当に。
本当に。
よろしくお願いします。
以上です。

tsugu 🌙さんはTwitterを使っています: 「#ヴィーガン #1日でも早く浸透させることが大切 #活動する上でよく考えて発言してほしい https://t.co/yQ9UpwDkNk」 / Twitter

継之助さんについて

 私にとって継之助さんと言えば今は非公開となっているとあるYoutube動画のイメージでして、「ガチになる人は自然になって行くと思うから最初から完璧じゃなくてもいいんじゃないか」という趣旨のことをおっしゃっていて、その部分にとても共感しました。

 よって、好意的なバイアスがかかった状態で動画を見たので「あぁ、いいことを言ってくれているなぁ」と思っただけだったのですが、「ふざけんな」と言われている側の主張を持つ方々にはとても攻撃的なものと受け取られたようです。確かにバイアスを取り去って冷静に見ると、攻撃的ではありますね😅

 これまた過去記事からの引用にはなりますが、例えば「保育園落ちた、日本死ね!」のツイートはあの勢いがあったからこそ衆目を集めることができたので、時として主張には心の底から湧き上がるある種の勢いが伴ったり、それが功を奏する場合もあります。今回は残念ながら反感を買ってしまってあまり上手くは伝わらなかったようです。

今回の「ゆるヴィーガン」関連投稿の発端?

 継之助さんの5/24の動画が何に対して発せられたものかはわからないのですが、時系列を見るに、一つの可能性としてこちらのツイートで紹介されているブログの存在がありそうです。継之助さんは動画の中で指摘の対象を明言されてはいないのですが、このブログを対象としての動画だったと解釈しているらしき投稿をいくつか目にしました。

 このブログの中に以下の文章が出てきます。

「ゆるヴィーガン」「○%ヴィーガン」「パートタイム・ヴィーガン」という言葉が意味するのは、「ほどほどに殺人に反対する」「○%程度なら暴行を許容する」「虐待には反対だが、パートタイムで目を瞑る」ということ。「ゆる」や「パートタイム」を名乗るのはおかしいことなのです。

虚偽のヴィーガン・プラントベース表記の恐怖 – PLANT POWER FITNESS (plantpower-fitness.com)

 同種の主張は良く目にするのですが、この解釈は使っている当人の意図とはかけ離れていると思います。「ゆるヴィーガン」を名乗る人は虐待反対については「ゆる」ではないでしょう。虐待反対については揺るぎないのだけれど、実生活との折り合いをつける上でやむなく食することがあるという意味での「ゆる」であり、この場合の「ヴィーガン」は食事にフォーカスしていて「自身の健康のためではなく、動物たちのために完全菜食を実践する人」という意味で使っていると私は認識しています。そう捉える人の方が多いんじゃないかなぁ?ちなみに「In dietary terms(食事の用語としては)」という表現は英国ヴィーガン協会のヴィーガニズム定義文の中にも出て来ます。

 上の主張をする方々は、本当は言葉の使用者の意図をわかっているけれど、それについては無視しているというか認めずに、こういう主張をされている場合が多いようです。その理由として「企業が変な製品を作るから」ということが挙げられていたりもするのですが、私の中ではそこが直結しないのだということを以前のnoteに書きました。

 そこが根本的にすれ違っているので、継之助さんがもっと穏やかに伝えていたなら結果は違ったかと言うと、同じだったような気もしています。

 さすがに「ゆるヴィーガニズム」などと言い出す人が現れたら私もそれは違うだろうと思いますが、そんな言葉を使っている人は今のところ見たことがありません。「アニマルウェルフェア」は生きている間のことしかケアしないので、実は「ゆるヴィーガニズム」ではないのかと今ちょっと思ってしまいましたが・・・。

寛容のパラドックス

 「寛容のパラドックス」という言葉があります。「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という一見矛盾した結論を導き出した哲学者の言葉です。寛容を主張する人は寛容でない人にも寛容であろうとしがちですがそれにはやはり無理があるのです。

 継之助さんもきっとそうだと想像しているのですが、私は、動物たちのために菜食を選択する人を増やすため、行動し始めた人たちに対しては至らない点があったとしても寛容でありたいのです。その寛容な社会を作るために「ゆるなんてダメ!」という不寛容に対しては不寛容になってしまっていると思います。

 Marieさんにしてみれば、より良い世の中にするための発信として、持てる知識と経験を駆使し、言葉を選び、時間と労力をかけて丁寧に書いた長い文章に対して「ふざけんな」と指差し動画を流されてしまったわけで、お気持ちは察するにあまりあります。ですが、Marieさんを支持する関連投稿の中には、明確に継之助さんを名指ししているわけではありませんが、「自分のビジネスを守りたいだけ」だとか、「ヴィーガンビジネスのオーナーがヴィーガンの定義があやふやでもいいと考えているということは、ヴィーガンだと宣伝しておきながら平気で動物性の成分を使っている可能性もあるということなのでまったく信用ならない。」という誹謗中傷まで出てきてしまっていました。

 最初に文字起こしをしたように、継之助さんは「ヴィーガンの定義があやふやでもいい」なんて一言も言っていません。言い方は攻撃的だったかもしれませんが、要するに「芽を摘まないで」と伝えているだけの人にここまで書くのはどうなのでしょう?そもそもビジネスが大事ならあんな動画投稿しないと思うけどな~・・・。

 個人的には、「日本のヴィーガンシェフはもんのすごく貴重ですよ❗❓なんてこと書くの❗❓😱」と思いました😵

 人間はプライドや感情を持つ生き物であり、それをこじらせるとどんどん泥仕合になって行ってしまうので残念極まりなく、やはり伝え方は大事だなぁと思った次第です。他人の意見を変えることは難しいので、相手を無理に変えようとはせず、こういう意見を見たけど自分はこう思う、に留めておくことも必要かもしれません。とりあえずスルーして他で頑張るといった選択肢を取る方が良い場合もありそうです。

人はグラデーションで変わるもの

 最後に、私が尊敬する若いアクティビストの一人である二階堂ふみさんの記事を引用しておきたいと思います。

どうしても格差があるなかで、優先順位が変わるのは当然ですよね。色々な立場や価値観の人がいるので、一歩引いて客観的に物事を見ないといけない。例えば私が毛皮を着ていたように、人の考えはグラデーションで変わっていくものだと思うんです。今は何も思っていない人でも10年後には変わっているかもしれない。だから攻撃をするのではなく、寄り添うような活動や伝え方をしないと、分断が生まれてしまうと感じています。自然や動物だけじゃなく、人に対する愛情も同じくらい持っていないと傷つける人を増やしてしまう。

【二階堂ふみさんxグリーンピース】自然にも、動物にも、人間にも愛情のある世界へ – 国際環境NGOグリーンピース (greenpeace.org)

 人にはそれぞれ育ってきた環境、現在置かれている状況による優先順位というものがありますし、何かを思い立ってそれまでの行動を変えるというのは相当なエネルギーが要ることですよね。本当に動物たちのことを思う信念があればできるはず!という方には今少しの他者理解が欲しいところです。そんなに簡単なことなら既にもっと世の中変わっていますよね?ただ、継之助さんもおっしゃっているように、ふみさんがそうであったように、また私もそうであるように、スタートさえ切ってしまえばガチになる人は自然になっていくという面もまたあると思うのです。だから、敷居を高くしてしまうことはとてももったいないことだと考えています。

 人はみな「ヴィーガン」あるいは「ヴィーガンではない」のどちらかにしかなりえず、完全菜食者でないものは「ゆる」つきでも「ヴィーガン」を名乗ってはいけないという不寛容さは「芽を摘む」考え方なんじゃないかなぁと私は思います。

 「ゆるヴィーガン肯定派」という言葉も見ましたが、それも違和感で、私は別にそんなジャンルの人間ではないです😆肯定も否定もしたいわけではなく、「ゆる」を外せるようにするためにはどうすればいいのかを考えて、できることをして行きたいだけです。一人でできないことは同じ志を持つ方々と連携しながら😉

 ブログとしては過去一長い文書になってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました😊

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ねこおばさんにありがとう

 昨日、タイムラインを眺めていて少々苛立ってしまったツイートがありました。

 返信や引用リツイートをされている方々の中に見知った方がたくさんおられたので、みなさん気になったのだと思います。苛立ったなんて言っている私とは違ってみなさんフレンドリーで丁寧なコメントでしたけど😆

 私はnoteでよく動物性食品を食べる人を罵っちゃいけない、ましてや基本菜食の人を罵っちゃいけないという趣旨のことを書いているにもかかわらず、どうしてこのツイートがこんなにも不快なんだろう❓と自分の深層心理が気になりまして、とりあえずこのツイートの続きを見てみました。

 結果・・・、さらに苛ついてしまいました🤣菜食をやめたのかやめてないのかどっちなんだい❓楽しいのか楽しくないのかどっちなんだい❓楽しませたいのは自分か周りかどっちなんだい❓そんな私のモヤモヤした心をスカッとさせてくれたのが「ねこおばさん」とおっしゃる方のこちらの返信でした。

 ダイスケさんのプロフィールを拝見してみますと、ご自身で調べて実践した食事方法で重度のアトピーを完治させた方なのだそうで、菜食の入り口としては健康目的といったところでしょうか。健康のために菜食が良いと考えているのに動物性食品が食べたくなっちゃう人なのかな~と思っていたら、自己レスには「ほぼ菜食者です」とある。何でしょうこの微妙な言い回し・・・。とだんだんイライラの原因が見えてきました。

 要するに、どういう立場で何のために誰に向けて何を言いたいツイートなのか全くわからない点にどうやら私はイライラしたようです。

 まず、主語があればまだ少しはましだったのかもしれません。「自分は動物性食品も食べたいので菜食縛りは楽しくなかった」という単なる自分語りのつぶやきなら別にイライラはしなかったと思いますし、健康目的の菜食の場合はゴールが自分の健康なので我慢は相反するというのは普通の話です。しかし、主語がないので何となく、菜食全般が楽しくないと言われているかのような印象を受けてしまって、いやいや私は楽しんでますよ❓と反論したい欲求が生まれてきます。さらには「食は楽しんでなんぼ。楽しんだ者勝ち。食を楽しもう!」と畳みかけられると「待たんかーい!たとえ楽しくなくても動物性食品を食べたくない人もいるし、もはや食べたくならない人もたくさんいるし、そもそも私はあなたと違って楽しんでますよ⁈」と猛烈に反論したくなってしまう😆

 そんな気持ちを要約してくれて、「んなわけないでしょ」とバッサリ切ってくれたのがねこおばさんでした😊

 素朴な疑問として、ヴィーガンが動物の犠牲を無くしたいがための菜食だということや、家畜と呼ばれる動物たちがどんな悲惨な状況にあるのかをご存じかそうでないのかどっちなんだろう?という思いがあり、それもモヤモヤの原因の一つです。知っているなら、ねこおばさんのおっしゃる通り、「楽しければなんでもいいんです!」なんて言われたら確実に楽しくない人がいるのはわかりそうなものなので、きっとご存知ないんだろうな~?というのが今の私の推測です。(知っていての発言だったらどないしょ😅)

 多くのヴィーガンさんからの引用リツイートを受けての上のコメントを見ても、マクロビ講師を3年やっていたとか、リツイートした人からしてみるとちょっとずれた感じのフォローをされているので、『きっとご存知ないに違いない感』はさらに強まりました。私自身もよく知らなかった時代があるわけで、知っていて当たり前と言う先入観は持たないようにしなければ。(知っていての発言だったらどないしょ😅)

 それにしても「楽しくない」で物議を醸しているのに「普通に楽しいよ」って何なんでしょう。(あかん、やっぱりイライラする🤣)「学歴はいらない」と言ってかっこいいのは学歴がある人だけのような気が個人的にはするわけですが、「肩書はいらない」も似たようなものかもなぁ・・・。実践できている人が言う分にはかっこいいというか。

 この「叩いてきて怖い」はたぶん「菜食楽しんでます」系の引用リツイートではなくもう少し厳しめの引用リツイートやリプライを指しているのだとは思いますが、それらを書いた人々をがっかりさせそうな独り言もおっしゃってました。「中庸」は「何でもOK」とイコールではないと思うが。「ベジのお店しか行かない私」がこれまた軽く私を苛つかせます。(あかん、性格悪くなりそう🤣もうなってる❓😂)

 ちなみにダイスケさんは「目玉焼きを美味しく作る方法の探求」をしている一方で自分をヴィーガンに属すると書いているあたり、やはりヴィーガンについてはお詳しくない方だとお見受けしました。よかった!!

 ダイスケさんから得られた教訓としては、よく知らない言葉を使って自分語りをしてはいけないということでした。恥をかくとかそういうことではなくて、下手をすると意図せず他人を傷つけてしまうなぁと。不特定多数の方の目に入るネットに文章を書くにあたっては使用する語句の意味をよく調べなきゃなと思いました。

 ヴィーガン読者を想定しているこのブログの締めくくりが目玉焼き画像というのはあまりに物悲しいので、うちの猫の写真でも見て帰ってください🥰

右よ~し!
左よ~し!

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感謝は免罪符になるでしょうか

 ツイッターのタイムラインに流れて来たあるツイートのコメント欄を見ていて、とても息が苦しくなりました。こちらのツイートです。

 もし、引用リツイートでこのツイートを批判したなら、アンチヴィーガンの方々から「これだからヴィーガンは!」的な攻撃を受けそうですが、私が私のブログで自分の辛さを語る分には自由ですよね。

 このツイートそのものよりも、そこに連なるコメントがとても辛かったです。「食育」という言葉一つですまされてしまう動物たちの命・・・。誰も悪気があって書いているのではないことはわかりますし、ひと昔前なら普通に読み流せた気もするのですけど、今の私にはもう動物たちは食べ物に見えなくなっているので「感謝」で片付けられてしまうのは心が苦しいのです。この時代の沖縄の家畜たちは今の工場式畜産の動物たちよりはましだったのかな、せめてそうであって欲しいなと思いました。

 ヴィーガンの人でも、例えば未開の地で今の私たちとは比べ物にならないほど環境負荷の少ない原始的な生活をしている人々が大切に育てた家畜を自らの手で捌き食することを否定できる人は少ないのではと思います。私も、できればそれすらも無くせるならと本心では思いますが、表立って否定することはできません。でも、少なくとも今の工場式畜産のあり方は上のツイート本文にある「人の道」に反していると思います。

 ドラマを見ずにあれこれ書くわけにもいかないのですが、もし、今はまだ「感謝して食べる」に違和感のない方がこのブログを訪れてくださったなら、伊織さんのこの曲をぜひ聴いてみていただきたいです。

 感謝して食べればいいなんて誰が決めましたか?あなたは感謝されれば殺されてもいいですか?

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ランニングとユーチューブ

 先日のnoteにも書いたのですが、ヴィーガンへのよくある誹謗コメントに「お前ら不健康なんじゃ~!」というものがあります。それに対して「私はもともと不健康なのよ!ヴィーガン関係ないわ!」と返してみても仕方がないので、健康なヴィーガンさんたちの足をひっぱらないよう、ヴィーガン以前よりも健康になることを目指しております😊

 というわけで、食に興味が薄いのに食事に気を付け、ランニングや筋トレが嫌いなのに少しは頑張っています😆もともと引きこもり傾向が強いのに、この2年で通勤すらしなくなり、正真正銘の引きこもりになりつつあるのですが、どのくらい引きこもっているかというと・・・

なんと、走る時ですら外に出ません❗🤣

 亡き義父が愛した縁側に、こんな無粋なものを置いてドタドタ走っている嫁をあの世でどう思っているかわかりませんが、わからないのでよしとします😆

 私には🏃を楽しむ才能はないので、走っている間(歩いている間とも言う)に気を紛らわせるものが必要なのですが、素晴らしいなぁと思うのがYoutubeです🥰便利なサービスが安価に利用できて本当にありがたい世の中だなぁと思います。ちゃんと外を走るみなさんもよくご自身用のセットリストを作ってらっしゃいますよね😊

 距離や時間で目標を設定してもすぐに挫折するのですが、「この6曲を聴き終わるまで!」とかだと割と頑張れます😊どんなに面倒でもやはり適度に体を動かした方が調子はとても良くなるので、ぐうたらヴィーガンのみなさん(勝手にジャンルを作るな🤣)もぜひ自分を騙し騙し運動させる方法を見つけてくださいね😉